ここにはおられません

2022年12月19日

2022年4月17日
参照聖句:ルカの福音書24:1~12
説教題:ここにはおられません 

おはようございます。2022年4月第3週の日イースター礼拝を共に捧げる恵みにあずかり
感謝します。ネット配信で礼拝を捧げているあなたもおはようございます。この時間を共に共有できる恵みに感謝します。

 先週は嶋本さんの土のちり棚の納入式に伴い「大地のちりで造られた人」と言うテーマで共に考えることが出来感謝でした。礼拝の後、ご家族と話しましたが、納入式をとても喜んでくださいました。一般的に教会式葬儀は家族の皆さんが高く評価してくださるのですが、今回の納入式を通して家族や親族がここまで良かったといってくれたのは私達も大きな驚きです。土のちり棚を作って本当に良かったと実感しています。

 さて、今日はイースターでキリストの復活を記念してお祝いしますが、ルカの福音書24章からキリストの復活と私たちの関係について考えてまいりましょう。この箇所を読むと神は人々が想像もつかないような復活と言う大きなプレゼントしてくださるお方だと教えられます。そして中々復活を理解しきれず、先入観があって受け入れられない現実を見ることが出来ます。

キリスト者がキリストの体の復活を信じているのが前提ですが、その前に質問。皆さんはキリストの復活の話を聞いた時はどんな反応をしましたか。中々信じられなかった?今でもキリストの復活は信じられない。すんなり信じた。それぞれの反応がありますね。私の場合は高校生の時でしたが意外とキリストの十字架の死と復活をそのまま信じ受け入れることが出来ました。

では基督の弟子達の場合はどうか、三年以上生活を共にし、イエスご自身から十字架の死の話を何回も聞いていたにもかかわらず信じることが出来ませんでした。第一メシヤであるイエスが罪人たちの手に引き渡され十字架に付けられ死ぬ事は有ってはならないことでした。たぶんそんな話は聞きたくもないし、あるはずがないと思っていたのです。
それ故その先の復活、よみがえりも理解できなかったのではないかと思います。イエスの復活について彼らは最終的にイエスと出会って初めて受け止められたのです。

 話は少し前に戻りますが、先週の木曜日に聖書を読む会があり、受難週に合わせてルカ22章を読みました。ユダの裏切りや弟子たちが不安の中で、イエスはご自分が過ぎ越しの羊として死ぬ事、またフルコースの過ぎ越しの食事をし、パンを食べ、ぶどう酒を飲み、ご自分の死の意味を伝えました。長時間の食事がすんだあと、いよいよゲッセマネの園で血の汗を流して祈りを捧げ、その後、逮捕され、一睡もすることなくユダヤの指導者に連れまわされ裁判を受け、早朝からピラトの裁判を受け十字架刑が決まります。
 
木を担いで悲しみの道ドロローサを歩き、ゴルゴタの丘で朝9時に十字架刑に付けられます。
6時間苦しみぬいて午後3時に息を引き取ります。罪のない神の小羊yesが罪人の身代わりとなって罪の赦しの為に十字架刑を受けたのです。安息日が始まる前にヨセフによって墓に葬られました。イエス様は仮死状態だったのではなく完全に死に息絶え、そして葬られたのです。後、イエスはよみ(苦しみの場所)に下り死人たちに対して、ご自身の十字架のみわざを宣言されました(Ⅱペテロ3:18~19)しかしイエスは三日目に神の力によって再び命を与えられ復活したのです。

そしていよいよ週の初めの日曜日、朝早くに復活しました。これは霊が復活したのでもなく、
愛のキリスト教思想が復活したのではなく、死んだ方が栄光の体に変えられて三日目の朝に既によみがえっていたのです。ルカ24:1以降に書いてある通りです。1~3を読む。安息日が明けて早く早朝、マグダラのマリヤ達はイエスの体に香油を塗る為に墓に行きますが、墓の石が脇に転がされて、墓の中に入るとイエスの体が見当たりませんでした。そこに二人の天使が現れて近くまで来ました。女性たちはひどく恐れましたが、み使いは事の真相をマリヤに知らせます。

6:それがこの言葉です。ここにはいません。よみがえられたのです。風になって天から見ているのではなく。イエスの体が栄光の体に変えられて復活してこの墓にはいないという意味です。ガリラヤにいた頃主がお話になったことを思い出しなさい。

7:罪人どもの手に引き渡され、十字架に付けられ、三日目によみがえると言われていたでしょう。

8:この段階になって彼女たちはイエスの言葉を思い出しました。このルカには書いてありませんが、復活のイエスと出会って後、使徒たちのところへ戻りイエスの復活を伝えるのです。

11:マリヤたちの話を聞いた使徒達は復活のイエスの話を聞いても、戯言のように思い信じません。但し女性たちはイエスが以前言っていた言葉を思い出し、復活を信じて使徒たちに伝えたのとは大きな違いです。それ程イエスが死んだことの衝撃が大きかったのではないかと思います。気が動転して復活まで思いが及ばなかったということではないかと思います。

12:しかし行動派のペテロはこの話を聞いて立ち上がり墓まで走っていきます。しかしこの時点ではイエスの復活についてはまだ理解しきれていないようです。でもそんなペテロも後に復活のイエスと出会うことになります。
適用
ここで重要だと思うのは女性たちの行動です。まず何といっても主yesを信頼し愛していた。そしてどこまでもイエスについて行こうという気持ち信仰があったことです。その行動が墓にいき香油を塗ろうとしたこと。そしてみ使いたちの言葉を聞いて、イエスの十字架の死と三日目によみがえるという言葉を思い出した事。イエスがかつて語られた言葉をしっかり受け止めているのが素晴らしいです。その結果マリヤ達は最初に復活のイエスとお会いして、使徒たちに知らせたのです。

私達もイエスが栄光の体でよみがえったということは信じています。しかし大事なのはその次です。マグダラのマリヤ達の様にイエスを愛しイエスの心を大切にし、愛に生きるかが問われます。

もう一つは、yesの言われた言葉理解について、前後関係も含めてその意味を正しく理解する。これが極めて重要です。そしてイエスの生きたように生きるのがキリスト者です。すなわち神を愛し人を愛することです。イエスの言葉を正しく理解して行動する生き方をしたいものです。
今日私たちは復活のイエスを信じた故に、目に見えませんがキリストと一つにされてキリストの復活の命を受けています。なかなか信じられないような復活を信じたのは聖霊の働きです。
今週も復活のイエスは事実であり、そのイエスが共にいる事を覚えて歩んでまいりましょう。