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信じて待つ 

2022年12月20日

2021年12月3日
参照聖句:Ⅰペテロ1:8~9
説教題:信じて待つ

おはようございます。今日も愛する兄弟姉妹と共に主を礼拝出来る恵みを感謝します。
また、ライブ配信で共に礼拝を捧げているあなたもおはようございます。お元気でしたか?
場所は違っても同じ時間に同じ主を礼拝出来る恵みを感謝します。
さて今日はアドベント(日本語で待降節)の二週目です。アドベントはラテン語で来る、到来を意味する言葉です。クリスマス迄、静かに主イエスの誕生を待ち臨んでまいりましょう。宣教題は信じて待つ。それではお配りしたプリントをご覧ください。

●闇の中を歩んでいた民は大きな光を見る。死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が輝く。
イザヤ書9章2節
皆さんに質問します。あなたが信じて待ち望んだことはどんなことですか。
●初めてもらうあの給料日。一生懸命働いてもらう給料は楽しみです。
●20歳になる日を待つ。長いですね20歳になるまでは、でも20才過ぎるとあっという間に
70才なんてこともあります。
●夢に描いていた結婚式の当日。でも結婚した後、こんなはずではなかったとか。
●お正月 楽しみにしていたけど毎年正月は来るので飽きちゃったとか。
●クリスマスも毎年来ます。これは一味違います。アドベント第4週目に迎えるクリスマス。
この日に人を罪から救いだし、人生を喜びと希望に変えてくださる救い主、メシヤ、イエス・キリストの誕生を待ち望む。このように私たちが信じて待ち望むものは沢山あります。

先ほどの言葉を紹介します。これは人を罪から救って、人生を喜びに変えてくれる救い主、メシヤ、キリストの誕生を待ち望む預言です。イザヤと言う預言者が神の導きの中で書きました。

当時のユダヤは分裂国家で北の国半分を外国から侵略されていました。辛うじて南の国半分が残っていました。人々が暗い雰囲気の中で生活していた時、すべて困難を解決し救いと希望を人々に与える救い主のメッセージが神からイザヤを通して語られたのです。

しかし、この預言が成就するまで(即ちメシヤ誕生まで)なんと何年かかったのでしょうか。そうです。700年かかりました。人々には気の遠くなるような遅さでありましたが神の時が至った時にメシヤなるキリストが世界に誕生したのです。旧約聖書時代の人々は何百年もの間、メシヤ誕生を信じて待ち続けたのです。まだメシヤは生まれませんでした。しかし旧約聖書時代の人々は暗闇を照らし、死の陰の地に在っても光で照らし命を与えてくださるメシヤを待ち続けました。

※皆さんの中で特に今祈っていることがあるかもしれません。それが神の神のみこころであるなら、そして神があなたに対してよしとするなら必ず実現します。但し時間がかかる時が多いです。それ故信じて待つ信仰が大切なところです。神の約束は時間がかかるように思えても神のみこころなら必ずなります。700年が過ぎていよいよメシヤの誕生です。
●すべての人を照らす真の光(キリスト)が、世に来ようとしていた。ヨハネの福音書1章9節
これは使徒ヨハネによるヨハネの福音書の一節です。神の時至って神の子イエス・キリストがこの世界に人となって生まれる時のこと。このお方こそ真の光で全ての人の心と人生を照らしてくださるイエス・キリストです。このお方は私たちの生きる世界の中に人として来てくださいました。そして人を真の光で照らし、永遠の新しい命を与えてくださったのです。このように神は真実なお方ですので約束したら必ず守って下さいます。

そしてイエスは聖書の世界だけでなくあなたや私の人生にも直接関わって光をあたえます。
不安定な時代に在って、又先が見えない混とんとした時代に在っても、聖書の神、イエスキリストは今も生きていて、世界を治め、導き、そして、あなたをいつも大切に思い、あなたの信頼にこたえてくださるお方です。それ故私たちはこの神に信頼して生きようと願うのです。

●あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、今見ていないけれども信じており、ことばに尽くせない、栄えに満ちた喜びに踊っています。あなた方が信仰の結果である魂の救いを受けているからです。ペテロの手紙第一1章8節~9節

ここはメシヤなるキリストが誕生し、33年間の地上の生涯を歩まれた後、十字架に掛かり死んで葬られよみがえられた後の話です。ペテロが迫害の中にある信仰者を励ました手紙の一文です。

この頃の人々はイエスを実際、見ていませんが、キリストの愛に応えて神と人を愛する先行生活をしていました。言葉だけでなく行い、行動を通して愛を実践しました。又見ていないけれども、天におられるイエスを信じ、信頼していたのです。おれは信仰の結果である魂の救いを受けていたのです。キリストを信じる信仰生活とは本来喜びに満たされるものです。

※少し適用して考えて見ましょう。救いを受けた喜びは何事も問題が無い時の喜びでしょうか?そうではありません。何故なら当時の信仰者はローマ帝国による信仰の迫害、そして生活の厳しさの中でも変わらない喜びをもって生きていたのです。質が違う喜びが与えられるのです。これがイエスをメシヤと信じた信仰による救いの結果です。私たちもこれと同じ救いが信仰によって与えられるのです。

結び
今週も静かに神が人となられた主イエスに信頼し、このお方により頼んで歩んでまいりましょう。自分の力で頑張って信じで行くという頑張り信仰は非聖書的なことはしないでください。キリスト信仰はどこまでも、神の恵みに感謝して、主への信頼、信仰によって生きるものです。そうすると聖霊様が助け、働いて自由と喜びと力を与え、のびのびとあなたの個性や良さが発揮されて生涯を生きることが出来るのです。