コロナ禍の中で 愛と善行を目指して

2022年12月21日

2020年8月2日
参照聖句:ヘブル10:19~25
説教題:コロナ禍の中で 愛と善行を目指して

おはようございます。今日も共に集まり礼拝を捧げる恵みにあずかり感謝します。先週まで24回に亘り、聖霊について共に学び合う事が出来まして感謝でした。今日は、コロナ禍の中にあって私達はどのように歩んだらよいか共に確認したいと思います。皆様ご存知の様に、私達の埼玉県は新型コロナに感染した人が2300人を超え、全国で4番目に多い県です。埼玉北部の熊谷、深谷、本庄児玉郡市、上里町でも49人感染しています。緊急事態宣言下の4月、5月とは全く違う助教の中で私達は8月を迎えています。この現実を踏まえて、どう生きるのかをヘブル人への手紙を通して共に考えてみたいと思います。

まず、この手紙は誰が書いたかはよくわかりませんが、受取人はヘブル人とありますから、ユダヤ人だということは分かります。手紙の中身、テーマは信仰的に落ち込んでいる人(停滞)、又はユダヤ教から改宗してクリスチャンになったが、またユダヤ教に逆戻りしつつある信者への励ましと警告です。今日の聖書個所には5つのすすめがあります。まずこれを確認しましょう。

19節と20節が勧めの根拠でイエスの十字架の意味について語っています。それは罪のない神の子イエスが、人間の罪を赦す為に十字架上で、体が裂かれ、血を流してくださった。イエスの十字架の御業を信じる信仰者は、キリストにある新しい命を受け、新しい人生歩むようになりました。その事実を基に信仰者に対して5つの励ましや勧めを述べています。この勧めはヘブル人ばかりでなく、私たち信仰者にも適用できます。

1、大祭司イエスがとりなして下さるのでまったき信仰をもって神に信頼していこう。21~22
(別の言葉でいえば、無条件の信頼をもって神に近づこう)

2、動揺する事なく、主への信仰からくる希望を固く告白し続けよう。約束された主は信頼できるお方だから。23(コロナの時代でも動揺しない)

3、愛に基づき、善行(人の助けになる行い)が出来るよう、互いに励まし、見守り合おう。24

4、ある人たちの習慣に倣って集まることを辞めたりしないで、むしろ励まし合おう。25
ある人たちとは信仰が停滞し、一緒に集まり、礼拝し、祈りや様々な集会をやめてしまった人の事です。これは当時も今も信仰的にマイナス要因です。それ故、著者は集まることを辞めないで励まし合おうと勧めています。

5、その日が近いので、ますますそうして励もうではありませんか。
その日とは何か?そうです。キリストの再臨の日です。聖書ではキリストの再臨が近いと既にこの時代から述べています。ヘブル人への手紙は紀元60~70年の間に書かれたと言われています。そうすると再臨の日が今は2千年近くなったという事になります。私たちもキリストの再臨を待ち望む信仰者として歩もうではありませんか。

適用 特に4番目25節を注目したい。
今、日本で集まりをやめるのは、当時の様に、信仰の迫害やユダヤ教への改宗という事ではなく、誘惑により、イエス様への信頼がなくなることから事が多いですね。又、コロナの関係で集まりにくい環境になってしまったというのもあります。4月、5月の緊急事態宣言に伴う私たちの対応がそれでした。これは人の命第一という視点からやむを得ない判断だったと思います。

今はコロナ危機が続いて更に集まりにくい面がありますが、コロナ感染予防リスクをなくす為にユーチューブやオンライン礼拝で対応している教会もあります。本庄教会の場合は、今の所、通常の礼拝で行われている牧師のメッセージをインターネットで発信をしています。また、午前と午後、礼拝していますので、密にならないよう午後の礼拝に参加する事も可能です。また週3日聖書を読む会を開催していますので、参加できる可能性が広がっています。本庄教会では皆が集まりやすい様に様々な工夫をしていますので、出来ない事を嘆くよりも、出来る事を捜して一緒の集まり、励まし合う事が出来る環境になっています。是非チャンスを生かしてください。

この様に、コロナ感染予防の工夫をしながら、共に聖書を読み、学び、祈り、礼拝する習慣を持ち続ける事は大切です。信仰の歩みはキリストにある共同体の関わりの中で成長するものであり、一人では信仰の成長につながりません。コロナの時代だからこそ、工夫しながら、一緒に集まり励まし合えれば幸いです。又、集まる目的は、24節、キリストにある愛を基礎にして、隣人への善行、良い業が促されていく為にも集まりが大切だということです。集まる事が目的になるのではなく、広く外の世界に広がり、善行、即ち、隣人への良い業に繋がるような集まりこそ幸いです。

結び
今回、政府が経済を優先して(go toキャンペーン)を早く実施した政策ミスにより、感染者がどんどん増えていったと思われます。私たちもこの状況は他人事ではありません。自分は感染しないと思ってはなりません。本庄教会も自分達に出来る感染予防対策は何でもして命を守っていくつもりです。

これからコロナ感染がどこまで広がり、いつ収まるのか誰もわかりませんが、工夫しながら予防対策をして、共に集まり、信仰歩みをしてまいりましょう。そして本庄教会の兄弟姉妹が主と共に歩み、愛と善行、良い業を進めていけるように歩んでいこうではありませんか。