聖霊に満たされた結果②救いの確信
2020年6月28日
参照聖句:ローマ8:16
説教題:聖霊に満たされた結果②救いの確信
おはようございます。先週もコロナ禍の中にあっても仕事や生活が守られたことを感謝します。6月から各種集会が再開されましたが、共に集まり主を礼拝出来る恵みを感謝します。
さて聖霊についての学びは今日で20回目になりますが、14日は聖霊に満たされた結果どうなるかという事を学びました。今日はその2回目で救いの確信について考えます。
そこで皆さんと救いについて復習してみたいと思います。少し長い復習になりますが、聖書の示す神とは、創造主なる神(父なる神、子なる神イエス・キリスト、聖霊なる神)で唯一であると共に3つの位格、人格、パーソンを持っている一つの神です。
人は創造主によって最初から人として造られた存在です。まずこれを認め、次に人はその神に背を向け生きる者、これを聖書で罪と呼んでいます。ですからすべての人は罪人です。私も含めてここにいる皆さんは全員罪人という事になります。そして、この罪こそが私たち人生最大の課題であり、そのままでは決して解決できることはなく、そのままにしておくと最終的には罪に対する神の裁きを受け、滅びに至ります。
しかし愛なる神は人が滅びに至ることを望まず、この世界に神の御子、イエス・キリストを人として遣わし、真の神を私達人間に教えて下さいました。イエス・キリストを見たら真の神が分かります。キリストは罪のない神でありながら人間と同じように肉体をもって来られ、33年の地上生涯を歩まれ、最後は、信じる者の罪を赦すため、罪人の身代わりとして呪いの十字架刑を受け、神の裁きを受けたのです。そして、その御業の正しいことが神によって証明されるために三日目に死人の内より甦りました。その後、天にお帰りになり、今は神の右に座して私たちの為にとりなしてくださっています。更には信じる人の心の内に聖霊を遣わし信仰者と共にいて助けて下さいます。
私達が、聖書が示す救いを受ける方法は①創造主なる神の存在を認め、信じる事。②神の前に自分の罪を告白し、③イエスが自分の罪の身代わりに十字架上で死に葬られ、三日目によみがえられた事を信じる事です。そうしたら、誰でもキリストから遣わされた聖霊(御霊)を受け、罪の赦しと永遠の命に預かります。そして新しい地上生涯を歩み始めます。これを聖書で救いと言います。私たちが成すべき条件はイエスのみわざを信じるだけです。Ⅰコリント15:1~5 福音。
でも救いを受けただけでは、生まれながらの罪に負けるので実りあるクリスチャン生活は送れません。ここがポイント。成長し実り豊かな人生の為には聖霊に満たされることです。但しこれは棚からボタ餅式に口を開けていれば聖霊に満たされるという訳ではありません。条件があります。
①御霊を消さない。御霊は燃える火にたとえられ、消してはなりません。この意味は信仰者の心の内に住む聖霊の活発な働きや勢いを消さない、即ち、御霊の働きを抑制し、コントロールして抑え込むのをやめることです。Ⅰテサロニケ5:19
②神の聖霊を悲しませない。私達が罪を犯すと聖霊は悲しみ働きは弱くなります。聖霊が私たちの心の内で、悲しまず自由にのびのび働けるようにするにはⅠヨハネ1:8~9、主の前に罪を告白し、悔改める。心の方向転換をする。神は罪を赦し、もう一度、聖霊が心の中で自由に働き、聖霊に満たしてくださいます。エペソ4:30
③御霊によって歩む。私達の心の内に住んで下さる御霊の力と祝福、恵みを上手に生かして生きる。一時的ではなく「歩み続ける」ここまでが聖霊に満たされる条件でした。ガラテヤ5:16
もう一度確認すると、救いは父・子・御霊の神を信じ、罪人と認め、私の罪の身代わりにキリストは死んで葬られ、三日目に死人の中から、よみがえられた。と信じたら聖霊を受け救われます。この時から永遠の命と罪からの解放を受けます。そして生き方が変わってきます。
ただそのままでは罪が邪魔をして聖霊に満たされて生きるのは難しい。満たしの条件は、御霊の働きを抑え込まない。罪を犯したら神の前に悔い改める、私たちの内に住んでいる聖霊の力と恵みに生きる。そうしたらあなたも私も聖霊に満たされ、あなたらしい人生を送ることが出来るのです。具体的には神と隣人の為に生きる人生です。既に皆さんは聖霊の満たされていると思います。
さて今日は聖霊に満たされた結果、どうなるか?前回は聖霊が教え導く。二つ目は救いの確信が与えられる。しかし時々、イエスをメシヤと信じたのに救いの確信がないという人に出会います。救われているのかどうかは神が決める事だとか何とか言って確信がない人です。でも真に救いを受けたら心の内に住む御霊によって自分が救われているかどうかは、はっきりとわかるはずです。
救いの確信についてはローマ8:14~16に書かれています。14節、神の御霊に導かれる人は皆神の子どもですと有ります。神の子どもという前提は、15節にあるように、神の御霊を受けているということです。父なる神をお父さんと親しく呼ぶ事が出来る関係となる。神の聖霊を受けていない人は、長く礼拝に来ても、クリスチャンではありません。16節、御霊を受けて神の子とされた人は、その御霊によって自分が神の子であることを、私たちの内に住む御霊と共に、私達が神の子であることを証しすると有ります。この様に人の中に住む御霊が教えて下さるので自分が救われているという確信が与えられるのです。
今日、このみ言葉の様に、あなたも私も、自分はキリストの救いを受け神の子とされている事をもう一度確かなものとさせていただきましょう。そして、イエス様が自分に対して何を望んでおられるか、どのように生きる事が神の御心なのかを考えながら歩んでまいりましょう。
適用
今、コロナ禍は深刻な課題です。お隣の上里町で先週5名の方が、6月初旬は本庄市で2名の方が感染しています。全く気を抜けません。しかし、このような環境の中でも私達は生きていく必要がなります。生きるに当たり、今こそキリストの御霊に導かれ、知恵を頂き、キリストにある確かな生き方は何かを考えて生きる事が必要です。
今こそ、救いの確信をもち、キリスト信仰の本質を見極め確認しつつ、何が本物か、形式的かを判別し、シンプルな生活を志しキリストにある信仰者の生き方を模索してまいりましょう。
結び
今週も、聖霊によって救いを受けている事を確信し、コロナ禍の中で、今まで通りではなくても柔軟に工夫しながら知恵も用いて色々な機会に集まり、主を礼拝し、主に聖書を読み、祈る事を大切にしてまいりましょう。そして何よりも自分に出来る隣人愛を実践してまいりましょう。
いよいよ聖霊について宣教は21回目「御霊の実」について話します