この人を見よ③

2022年12月22日

2019年12月15日
参照聖句:ルカ23:32~43
説教題:ここの人を見よ③

おはようございます。アドベント第3週になりましたが、皆さんお元気でしたでしょうか。
本日の宣教題は「この人を見よ」です。宣教内容は人として誕生したイエスの歩み全体を新聖歌99番の歌詞を意識しながらの共に学んでいます。今日は3回目です。

一回目はルカ2:1~7を通してイエスがベツレヘムで誕生したところから学びました。何とベットは飼い葉桶です。2回目は2:39~52から、イエスが生まれて8日目に割礼を受けた事、そして知恵と神の恵みに満ち溢れていた事、12歳のイエスが、既にメシヤとしての自覚を持っておられ、後にナザレに帰り、両親に仕えて30歳までの18年間を通してますます知恵が進み、背丈も大きくなり、神と人に愛された様子を見てきました。

そしていよいよ30歳から公生涯と呼ばれる特別の歩みが始まります。ご自身がメシヤ宣言をした後の公生涯では罪人の友となり、弱い人を愛し、病人を癒し、路頭に迷う5千人以上の人を5つのパンと二匹の魚で奇跡を行い人々のお腹を満たしました。
この公生涯は3年半と言われます。そしてイエス様がこの世界に人として来られた目的は十字架に掛かって死に、復活し、ご自身をメシヤと信じる人を罪から救って永遠の命を与えることです。

今日の箇所はイエスの十字架刑について、ルカの福音書23:32~43を共に学んでまいりましょう。この場面は金曜日の朝9時から12時までの3時間の様子が書かれています。

32:イエスと二人の犯罪人がディア・ドロロゥサの道を通って、「どくろ」と呼ばれる死刑場迄苦しみながら、人々にあざけられ、ののしられつつ進んでいくところです。いばらの冠をかぶせられ、十字架の横木を担いでいきますが、途中で力がなくなり、クレネ人シモンが代わりに十字架を担いで死刑場まで行きます。多くの女性信者たちも悲しみながら後をついている流れです。

33:いよいよ死刑場につきました。直に十字架の木の上に寝かされて、両手首にくぎ打たれ、足を重ねてここにも釘が打たれました。ローマの兵士が掘った有る穴に十字架を埋め込みイエス様の十字架がたてられました。他の2人も同じように十字架につけられました。これが十字架につけたという内容です。ですからこの時点で極度の痛みや苦しみの中にある事が分かります。

34、9時に十字架がたてられた後、午後3時まで時間がありますが、ここは12時までの3時間の様子です。そして最初にイエスが発した言葉が34節です。ここでもののしられ、あざけりが続きます。それが38節迄続きます。そのような中で、イエスは自分をあざけり、ののしる人に対して、父なる神にとりなしの祈りを捧げています。「父よ、彼らをお赦しください。彼らは自分で何をしているのかわからないのです。」これはパフォーマンスでは言えない言葉ですね。ここにイエスの敵をも愛する愛の実践が端的にあらわされています。
※このみ言葉を読んでイエスを救い主と信じた人は多くいます。私もここのイエスの言葉を読んで、十字架についたこのイエスこそ神であると信じて救いを受けた一人です。

39~:ここから大きな場面の変化があります。それは十字架にかけられた悪人どもの心の変化です。一人は、依然としてキリストなら自分と俺たちを救えと言います。最初は二人の悪人共イエスに悪態をついていたのですが、一人の悪人は聖霊様の働きによって、イエス様に心を開き、イエスの本当の姿を理解して、見方が変わります。自分と一緒に十字架について苦しみつつも、ののしる人を愛し、父なる神にとりなしの祈りをするイエスこそ真のメシヤであることを確信し、イエスに語り掛けます。42節の言葉です。彼は死を目前にして十字架上でイエスをメシヤと信じ救いを受けました。ここを読む。

42:御国の位についた時とは、やがて達成されるメシヤ的王国、黙示録でいう千年王国の事です。聖書が約束する夢のような国で、メシヤが世界を治めるのです。これは千年間続きます。その時に思い出して下さいという非常に謙虚なお願いです。

43:まことに、アーメン。真実を告げる。あなたは今日、私と共にパラダイスにいます。これはメシヤ的王国とか千年王国とよばれるところではなく、我々が天国と呼ぶ父なる神及びイエスを中心とする祝福の場所。永遠の住まい。ここが聖書ではパラダイスとか、第三の天と呼ばれています。瞬間的にここに行くと言ったのです。これが十字架上でイエスを信じた人に対する約束です。

適用 2つ
○この人を見よ。
キリスト信仰者の目指す生き方は神と隣人を愛する事。これが全ての基本です。
神を愛するとは、神の御心の中に生きようと願います。これは言葉だけでなく行いが伴います。

隣人への愛も同じです。自分もこうなったらいいなあと思うことを隣人に実行するのが隣人愛です。人間の力ではなかなかできません。でも聖書はそのように生きなさいと命じています。
どうしたら出来るか?それは聖霊の力を受けて出来る様になります。
もっともっと聖霊の力を受けて、自分の思いを実践するのではなく、神の御心を実践させていただきましょう。その為にもイエスを見上げて聖霊の力を受けて歩んでまいりましょう。

○救いは聖霊なる神のわざ
十字架上の極悪人であってもイエスを信じたら救いにあずかる事が出来ます。これは私たちにも約束されている聖霊なる神の御業です。この御業の為には私たちのとりなしの祈りが必要です。

結び
この人を見よ。飼い葉桶に寝かされたイエス、神が人となられたイエス。神と人に愛されたイエス。33年間の生涯は、病に苦しむものを癒し、飢える者に食物を与え、徹底して貧しい者や弱い者と共に歩み、罪人と呼ばれる人を見下げず、社会の底辺に生きる人を愛し仕えてこられた、このイエスを見上げて私たちもイエスの心を受け継ぎ歩んでまいりましょう。