この人を見よ①

2022年12月22日

2019年12月1日
参照聖句:ルカ2:1~7
説教題:この人を見よ①

おはようございます。今日から12月、いよいよクリスマスの季節となりました。全世界でイエス・キリストの誕生をお祝いできる事は幸いです。因みにイエスの誕生年から紀元何年とはじまりますが、これは紀元525年にローマのディオニシウスという人物によって考えられた計算法ですが実際の所6~7年の誤差があります。イエスの誕生年についての日はもっと前で紀元前6年~7年頃というのが近いようです。

また具体的な誕生日は実際の所良くわかりませんが、12月25日をイエスの誕生日として制度化したのはAD325年のニケア会議以降であります。この日はミトラス教の不滅の太陽の誕生日(冬至の後)ですが、この日を利用して12月25日にお祝するようになりました。私たちもこれに合わせてイエスの誕生をお祝いしています。意味合いとして義の太陽としてのイエスの誕生日に相応しい日を決めたと思います。

新聖歌99、「マブネの中に」を賛美しますが、プロジェクターで99番お願いします。一番を読んでみましょう。今日から4回に亘って、この賛美歌を意識しながらイエスがどのような状況の中で生まれたかを、またどのように歩まれたかを自分達との関係で学んでまいりましょう。

○1~2住民登録
・全世界 今から2千年前の全世界はローマが支配する世界の事、当時の世界の中心がローマ。
・住民登録という勅令 日本でも5年に一度国勢調査があるが、人口がどのくらいいるのかを調べる。支配者が世界を治めやすくするための施策です。
・アウグストとは個人の名前ではなく、称号で偉大なものとか、崇高なるものという意味です。
個人名はオクタビアヌスと言いましてユリアス・カエサル亡き後の初代ローマ皇帝。力による政治がなされ安定した時代であった。パックス・ロマーナ(ローマによる平和)という言葉は有名です。
・この住民登録はいつ行われたか クレニオがシリアの総督であった時。クレニオはシリアの総督を2回勤めているので1回目の紀元10年~7年まで。この調査が行われた時にイエスは誕生しています。
銘形牧師が開設しているものを紹介します。アウグストと幼子イエスの対比
語彙 皇帝アウグスト 幼子イエス
救い主 力による平和をもたらした「救い主」 十字架によって神との平和をもたらす「救い主」
主 皇帝は「主」(キュリオス)と呼ばれた 主(=神)であり、キリスト(油注がれた者)
平和 力によって保たれている平和 愛によって実現される神の平和
福音 皇帝アウグストによる施政 イエス・キリストによる霊的な救い
栄光 勅令を発せる権威ある皇帝 神殿にではなく、いと高き所におられる神(御父)

○3~5ミカ書の預言の成就
ミカ5:2 旧約聖書1523頁ひらいてみましょう。ベツレヘム、エフラテよ。ベツレヘムは2つあるのでエフラテの方のベツレヘムと正確に、混乱しないように述べています。
メシヤが生まれる事が預言されている。その成就がここに書かれている。
確認5:許嫁(いいなずけ)の妻 この時代ユダヤでは一緒に住んでいないが法律的には妻と呼ばれていたのです。

○6~7イエスの誕生
・ユダヤのベツレヘムに滞在中、マリヤの月が満ちた
・男子の初子を生んだ。このお方は神でありながら人となって生まれたイエス・キリストである。しかも赤ちゃんから人間のお腹を通してです。但し聖霊によって身ごもったお方なので罪、原罪は有りません。
・人口登録をするために全世界から本籍地の有るユダヤに人々が集まっていたので人でごった返していた。ヤドヤ、これは普通の家に客間の方が分かりやすい。当時ここにはホテルはなかったので。人々が泊まる家々の客間が満杯だったという意味です。ホテルが満杯ということではありませんので誤解の無い様に。
・ではベツレヘムのどこで生まれたか?メシヤは人が住む空間ではなく、動物が住む空間で生まれた。家畜小屋で生まれた。世界を創られたお方でありながら最も貧しく低いところで生まれたのです。ベツレヘムの町の外にある天然の洞窟がメシヤの生まれた場所でした。
・布に包んで、これは当時の習慣で腕が伸びる様にぐるぐる巻きにされたことで、日本的な意味で産着を着たということではありません。布は亜麻布、イエスが死んだときに亜麻布にくるまれた、あの布です。通常墓は町の外にありますが、葬儀で使う時は墓に行く途中の洞窟にき、そこに置いてある亜麻布を使いました。多分イエスは、死者が覆われる布をまかれたのではないかと思われます。そうするとイエスは生まれた時から既にこれから待ち受けているあの苦しい十字架の死が暗示されていたのではないかと推察されます。

適用
クリスマスストーリーは何を意味するか。
世界を創造し治めている方、すなわち神であるお方がへりくだって人として来られた。
この世界に人間として来られたのである。聖書を開きましょう。
新約聖書384頁。ピリピ2:6~8に イエスの謙遜な生き方が凝縮されています。

結び
私達はどう生きるか。今日の主題は「この人を見よ」であります。イエスの様に生きるのです。
自分の与えられている賜物は何かを発見して、それを生かしていく事であります。特別に何かをするのではなくあなたらしく生きればいいのです。ただし生き方の基本、その基準は聖書にあるように、自己中心ではなく、神の愛を実践して生きる。具体的には、貧しい人、弱さを抱えている人、ハンディのある人、困難な事が多く困っている人。社会的に弱い立場にある人。このような人に寄り添って歩んでいくのがイエス・キリストでした。私たちも同じように弱さを抱える人、貧しい人と共に生きるのです。これがイエスを見上げて生きる人生です。