見ずに信じる者は幸いです  

2022年12月21日

2019年5月5日
参照聖句:ヨハネの福音書20:19~31
説教題:見ずに信じる者は幸いです

4月7日~イエスの十字架の死と復活について共に考えてきました。先週は洗礼式でしたのでテーマが別の内容でした。そこで今日がイエスの復活について最後となります。
今日の聖書箇所は弟子達に週の初めの日の夕方、イエスが栄光の体をもって現れたところの続きになります。

復活の日の夕方 19節~25節
ユダヤ人の暴力を恐れていて弟子達10人は、隠れていました。そこに復活の栄光の体をもったイエスが現れました。そして真ん中に立ち「平安があなたがたにあるように」弟子達はイエスの手と脇腹の傷跡を見て、復活のイエス様に間違いないことを知り大変喜びしました。続いて「聖霊を受けなさい」こうしてイエスは彼らに聖霊を与えました。彼らは聖霊を受け喜びに満たされたのです。

24:ただこの時、弟子の一人トマスだけは一緒にいませんでした。理由は分かりません。後で部屋に入ってきたトマスに対し弟子達は大喜びでイエスの復活を話しますが、トマスはその事実を信じようとしませんでした。そして言います。①私はその手の釘の跡を見、私の指を釘のところに挿しいれてみなければ②また私の手をわきに差し入れて見なければ③決して信じません。と言い張りました。

8日後の出来事 26節~
この日はトマスも他の弟子達9人と一緒にいました。戸が閉じられていましたが、栄光の体を持ったイエスは8日前と同じようにして部屋に入ってきました。戸が閉じられていても障がいとはならなかったということです。前回同様今度はトマスを含めた11人の弟子達に「平安があなたがたにあるように」語り掛けます。続いてトマスに対して答えます。
①あなたの指をここにつけて、私の手を見なさい②手を伸ばして私のわきに差し入れなさい③信じないものに成らないで信じる者になりなさい。これは8日前のトマスの発言に対する誠実な答えでした。決してトマスの不信仰を咎めだてていません。

28:この言葉を聞いてトマスは直ぐにイエスに対する信仰告白しています。私の主、私の神。

29:「あなたは私を見たから信じたのですか。見ずに信じる者は幸いです」これはトマスにとって大きな励ましの言葉でした。と同時に私達に対しても励ましです。私達はイエスを見てはいませんが、誤りのない神の言葉である聖書を通して、イエスこそ救い主であると信じて、救いを受けました。そしてその確信は今も変わりません。

ヨハネの福音書が書かれた目的 30節~
4つの福音書には35回、イエスの奇跡が書かれているそうですが、それが多くのしるし、別の言葉でいうと奇跡という意味です。ヨハネはイエスの奇跡を7つにまとめました。
しかし、イエスのなされた奇跡の御業は信じられないと言う人が多くいます。また自分に都合の良い様に、あるいは科学的と称して聖書の言葉を曲げて解釈する人も多くいます。
例えば5千人の給食の奇跡を通して、少年の5つのパンから全員がお腹いっぱいになったのですが、それは少年の持ってきた5つのパンが増えて、それを食べて満腹したのではなく、実はみなが弁当を持っていたのだとか。
イエスがガリラヤ湖の水の上を歩いたのは、浅瀬を歩いたのを、深いところを歩いているように見えたのだとか。
またイエスは十字架の死後、栄光の体をもって復活したのではなく、イエスの教えや精神が甦ったのだと解釈する人が多くいます。
そして最大の誤った読み方は聖書を字義通りに読むのではなく、比喩的、霊的と称して読む読み方です。皆さん聖書はそのまま読んで奇跡は奇跡として本当にあったことと読むことが大切です。そうすると聖書が分かってきます。
31:そして最終的には2つ
・イエスが神の子キリスト、救い主という結論になる事。
・そしてイエスの名によって命を持つことです。この為にヨハネはこの福音書をまとめたのです。

適用
○平安があるように
弟子達が受けた平安はキリストからくるものでした。この平安は人を恐れたり、心騒がせられたりしません。何があっても揺らぐことのない平安です。この平安を弟子達は受け継ぎました。これと同じ平安が私達にも与えられています。

○見ずに信じる者は幸いです。
私達は誰一人としてイエスを見ていません。でも誤りのない神の言葉である聖書を通してイエス様はどんなお方であるかを知りました。いつも私たちと共にいて愛と関心をもって私達を導き、励まし、支え、力を与えて下さるお方が主イエスであります。この様に肉眼では見ていませんがイエス様は私達と個人的に、そして人格的な交わりをとても喜ばれるお方です。ですから見ていなくても信じる幸いに与る事が出来るのです。

結び
私達はトマスや弟子達と違って復活のイエスを見ていません。33年間の生涯を歩まれたイエスご自身を誰も見ていません。しかし聖書のみ言葉を信じてイエスは確かに実在し、この地上で33年間、人として来られ、歩まれ、十字架に掛かって、死なれ、三日目に復活したことを信じています。そして確信が与えられています。聖書は私の人生を変え、生きる力を下さる神の言葉であります。

しかしキリスト者として確信をもって歩んでいても、人は悩みや不安、心配事を抱えています。
貴方の心にある心配ごとや悩みがありますか?あっても不信仰ではありませんのでご安心ください。イエスの下さる平安は私達がどんな状況にあってもそれを乗り越え、私達を成長させてくれるものです。今週も確信をもってイエスにより頼んでまいりましょう。