キリストにつぎ合わされて

2022年12月23日

2019年4月28日
参照聖句:ローマ人への手紙6:1~11
説教題:キリストにつぎ合わされて

※姓名部分はプライバシー保護の為伏字にいたしました。

今日は●●さんと●●さんのバプテスマ式、洗礼式ですのでキリストに次ぎ合わされてと言うテーマで共に考えてまいりましょう。

まずバプテスマとか洗礼とはどんな意味を持っているのでしょうか。別の言葉にすると、浸すとか、一体となる。一つにとされるという意味です。そして聖書ではバプテスマには聖霊のバプテスマと水のバプテスマの2つある事は皆さんよくご存じですね。
一つは主イエス様が私の罪を赦す為に十字架に掛かり死なれた事、葬られた事、三日目によみがえられた事を信じたら救いを受け、キリストの新しい命を受けます。その時に目には見えませんが、キリストとつながり一つとされました。別の言い方をするとキリストの中へと浸されて一つとなったのです。これが3節の言葉です。(読む)
これが良く言われる、イエスを救い主と信じた時に起きる聖霊のバプテスマ。聖霊によってキリストと一体とされ、キリストの新しい命を受ける事で救われるとか、新生すると言います。

この時、目に見えませんが私達はキリストと一つとなり、見えないキリストの体なる教会の一員となります。之には教派や教団、グループは関係ありません。貴方も私もこのキリストの体なる教会の一員になるのです。私達はキリスト教会と言う場合にこの視点をいつも頭に入れておく必要があります。そうでないと自分と違うグループのキリスト者を排除してしまう考えに陥る場合もありますので大切なところです。

もう一つはこれから成される水のバプテスマです。これはイエス様を救い主と信じ、聖霊によってバプテスマされ、即ち一体とされてキリストから新しい命を受けた人が、救いを公に示す為に、そして地上のキリスト教会の一員として正式に歩むことを示す為に、救いを目に見える形で公に表す儀式の事です。やり方としては全身を水に浸したり、水を注がれたりして行われます。この時にイエス様が命じた通りに牧師はバプテスマを授ける人に父、子、聖霊の名によって授けると宣言します。マタイ28:19

こういう訳で順番は水のバプテスマが聖霊のバプテスマより先になる事は有り得ません。よく聞く話で救いに関係なく長く教会の礼拝に出席しているので牧師にそろそろ水のバプテスマを受けたらどうですかと勧められたという話を聞きます。人によっては水のバプテスマを受けてしまえば何とかなるので早く受けなさいと勧める人もたまにいます。いずれも順番が逆なのでありこれは得ない話です。
では水のバプテスマに至るまでの流れを皆さんと一緒に確認してまいりましょう。

1、一段階 福音を聞く。Ⅰコリント15:1~5
福音。キリストの良い知らせの言葉。この福音のことばを歓迎し受け入れるならば、この福音のことばを信じて救われます。これが恵みと信仰による救いです。キリストにつながり永遠の命と罪の赦しを受けます。良い知らせの中身である福音とは何か。私達はキリスト教と言う宗教を信じるのでなく、今も生きておられる主イエス・キリストを信じる。ここが大切ですね。福音の中身は使徒パウロも信じた事で次の3ポイント。キリストは私達の罪の代わりに十字架に掛かって死なれた事、墓に葬られた事、三日目に甦られた事をそのまま信じたら救いを受けます。

2、第二段階 ローマ6:1~11聖霊のバプテスマ
イエスは主であると信じた人は救いを受けます。この時何が起きるか。目には見えませんがキリストとつながり一つとなりキリストの命を受けました。
3:のキリスト・イエスにつくバプテスマを受けたということです。イエスを救い主と信じた瞬間にキリスト・イエスの中に入りました。一体となます。これが聖霊のバプテスマです。ここにいる皆さんも体験している事です。
4:信じた人はキリストと一体になったのでキリストと共に死に、キリストと共に生き新しい歩みを始めるのです。
5:キリストにつぎ合わされてと有ります。
11:結びをご覧ください。キリストと一にされた人は、自分は罪に対して死んだ者でありと有ります。これは非常に大切でキリスト信者の生命線ですね。罪に対して死んだとは、キリストによって自由と命を受けたのだから、信者は罪の生活に留まり続ける事は有り得ない、又は再び罪の奴隷にはならないのです。そして神に対してはキリスト・イエスにあって生きたものと認め続けながら生きる。この歩みを通して主イエス・キリストに似た者とされ続けるのがキリスト者であります。

3、3段階 水のバプテスマ マタイ28:19~20
今度はいよいよ水のバプテスマです。イエス・キリストを救い主と信じた時に救いを受ける。聖霊によってキリストと一体とされる。キリストの溢れる命を受け、新しい生き方が始まりました。

この救いの恵みを目に見える形で表すのが水のバプテスマです。形だけ受けても意味がありません。救いを受けた人が受けるものです。そしてこれはイエスのご命令です。聖霊のバプテスマを受けた人が、水のバプテスマを受ける。これが流れです。具体的には父、子、聖霊の名によって水のバプテスマを授けます。更にイエスの約束は、世の完成の時まで、あなた方と共にいる。こんなに力強い励ましは他にありません。ここから勇気が出てきます。

結ぶ
救いは恵みと信仰によって与えられるものです。これからのクリスチャン生活も同じです。頑張って信仰生活をするのではなく、主の恵みに信頼して、聖霊の力により頼み、イエスを見上げて生きるのです。