天に上げられたイエス
2018年9月23日
参照聖句:使徒1:3~12
説教題:天に上げられたイエス
おはようございます。今日も共に礼拝を捧げる事が出来て感謝します。さて私たちは今までマルコの福音書を中心にイエスの生涯から学んできました。あと数回で終わります。特にイエスの十字架の死と葬り、復活については他の福音書を読み比べながら学びました。今日はいよいよ今日で10回目の所を使徒の働きから見ていきたいと思います。主イエスの思い出してみましょう。
①マグダラのマリヤ。
②他のマリヤ達。
③シモン・ペテロに単独で。
④エマオの途上で弟子のクレオパ達に。
⑤当日夕方10人の使徒達に、戸が閉められた部屋に栄光の体をもって入ってこられました。
⑥週の初めの日から8日後、翌週の日曜日。トマスを含めた使徒達に。
⑦ガリラヤ湖畔で7人の使徒達に(ヨハネ21章)。しばらくしてから。先週やりました。
⑧続けて500人以上の信者たちと使徒達に(Ⅰコリント15:7・マタイ28:16~20)。
⑨9回目はヤコブに(Ⅰコリント15:7)
ここまでは先週学びました。
⑩10回目はオリーブ山で弟子達に(使徒1:3~12)という事になります。
今日はオリーブ山で現れた時のことです。ここは3~8が命令、9~12が昇天。話は横道にそれますが、昇天と言う場合はイエス様が栄光の体をもって天におかえりになった事を言います。文字通り天に昇る。私達が地上の生涯を終えて死を迎える時は天に召されるのであってイエス様のように昇天、昇る天とは書きませんのでご注意ください。時々クリスチャンが亡くなった時に天に昇ると間違って書く人がいますので話してみました。
1、3~8 イエスの命令
前回の場所はガリラヤの湖、続けてガリラヤの山での再会でしたが、イエス復活後40日経つと、彼らはガリラヤにはいません。どこですか?そうです。エルサレムにいます。ルカ24:49ではイエスの命令によりエルサレムに来ています。そして聖霊を受けるまではエルサレムに留まるようにと命令を受けています。
3:イエス様は十字架の死と復活後40日間、地上に於いて弟子達に現れ復活の命を示されました。その回数は実に10回。復活の日に5回、それ以外の日に5回です。今日のオリーブ山での場面が10回目になります。これらの復活の証拠を通して、イエスの弟子達の思い込みや願望が復活という形に変わったのだというもっともらしい話でない事が分かると思います。実に数多くの証拠を残しているのです。特に注目すべきことは神の国を語っていたことです。ここでの神の国とはなにか。多くのユダヤ人が直ぐに来ると待ち望んでいたメシヤを中心とする王国の事でしょうか。そうではありません。思い出して下さい。イエス様が福音書で語られた神の国は奥義としての神の国、即ち今のキリスト教世界のことでした。即ち地上のキリスト教世界には本物も偽物もある。良い麦もあれば毒麦も交じっていると語られたあの神の国の事であります。
4:そしてあなたがたはエルサレムを離れないようにと言われました。父の約束を待ちなさい。
5:約束とは何か?そうです。聖霊を受けること。イエス様は天に帰るので彼らは困りますが、神の権威ある右の座で大祭司としての役割があるのでこれはやむを得ないこと。代わりに助け主として同じ神である聖霊、御霊を送るのでエルサレムから離れないように話すのです。ところでバプテスマとは何でしょうか。言葉の意味は一体となること。一つ。聖書ではバプテスマは3つあります。①ヨハネのバプテスマ、神の前に悔改めのしるしとして水に入る。これは私たちとは関係ありません。②私たちと関係がある。聖霊のバプテスマ、イエスを救い主、メシヤと信じた時に誰でも聖霊を受けるものです。御霊の内住とも言います。皆さんに質問。あなたはイエスをメシヤと信じていますか。では聖霊を受けましたか?あの、そのとは言わないでも大丈夫です。安心して受けましたと答えてください。信じた人は誰でも受けます。あるグループの人は聖霊を受けたら必ず異言を話し、もし異言を話さないなら二流のクリスチャンだと言います。でも異言を話せなくても大丈夫です。③キリストを信じて聖霊を受けキリストと一体となった人はその印として目に見える形で表すもの水のバプテスマです。マタイ28:19イエスの命令の言葉は水のバプテスマの事ですね。
6:彼らの質問を聞くとずっこけてしまいます。「今こそイスラエルの為に国を再興してくださるのですか」彼らはまだイエスを中心とするメシヤ的王国が近いのかと思い込んでイエスに尋ねたのです。メシヤ的王国は黙示録によると千年王国とよばれています。旧約聖書で繰り返し取り上げているテーマですね。
7:イエス様はメシヤ的王国が来るのを否定していません。でもどんな時かは知らなくても良いと答えます。何故ならそれは父なる神の定めるものだから。それ故私たちもキリストの再臨や携挙の時をいつだと言ってはならないのです。
8:聖霊を受けて力を貰う。この聖霊はイエスと同じ性質を持つお方です。世界宣教が始まる。エルサレム、ユダヤ、サマリヤと広がるのです。地図を見ると広がっていく事が分かります。地の果てとは異邦人社会にまでという事になります。私たちも地の果てに含まれます。
2、イエスの昇天9~12
9~12:イエスは弟子達が見ている前で栄光の体のまま天に上げられました。雲に包まれてとは神の栄光の中でということです。弟子達は驚きと共に悲しみや寂しさが大きかったことでしょう。しかし、二人のみ使いが話しかけます。弟子達は、ぽかんと口を開けて上を見ていたのかもしれません。11:また同じ有様でおいでになります。栄光の体をもってオリーブ山に帰ってきます。すごい約束です。もう一度栄光の体をもちオリーブ山に戻ってくる事をキリスト教用語でキリストの再臨と言います。再び臨むと書いて再臨。セカンド、カミングですね。
12:エルサレムとオリーブ山の距離は900m。安息日の道のり。安息日に歩いても良い距離。
適用
○イエス昇天(この地上を離れ父なる神のもとに帰られたこと)の意義について考えよう。5つ。
①昇天によってイエスは地上の働きは完了した。②今は父なる神の右に座している。使徒2:32~35③何をしているか。大祭司の働きをしておられる。ヘブル4:14~16。私達の為に父なる神にとりなしておられる。④イエスの地上での働きは弟子達にゆだねられた。使徒1:8⑤聖霊が注がれる準備が整った。
○イエス再臨の希望について考えよう。2つ。キリストの再臨によって世界が全く改まる希望である。キリスト再臨の後新しい世界が誕生する。メシヤ的王国。新約聖書では千年王国と言います。
①どこに来るか。オリーブ山。ゼカリヤ14:4。預言。②どのような形で来るか。マタイ24:30。世界中の人の目に見える形で栄光に包まれて来られる。多くの人は悲しみながら⇒7年の大患難時代の最後だから。クリスチャンがいないから。裁き主としてこの世界に戻ってくる。
結び
今回で10回の復活についての話は終わります。再来週もう一回マルコの福音書最後の所から考えてみましょう。牧会祈祷