ペテロの霊的回復から学ぶ 

2022年12月22日

2018年9月9日
参照聖句:ヨハネ21:15~25
説教題:ペテロの霊的回復から学ぶ 

おはようございます。9月第2週、今日も共に聖書から学びましょう。聖書箇所は前回の続きでテベリヤのガリラヤ湖畔で復活のイエスが7人の使徒達に現れた場面です。(ヨハネ21章)。これで使徒達に現れたのは何回目ですか?そうです。3回目になります。振り返ってみますと、故郷のガリラヤに帰った使徒達はイエス様と約束した再会を待っていました。でもあまりに遅いので待ちきれなくなったペテロや他の弟子達は不安になります。ついに彼らは元の職業である漁師に戻り、夜中に漁をしますが、一匹も取れません。ここに復活のイエスが現れペテロに網を右におろしなさいと勧めます。その通りにしたらどうなったか。勿論大漁で153匹獲れました。この記事を読むとペテロがイエスに従った時と同じですね。イエスは最初の事を思い出してもらいながらペテロの霊的回復をしたのでしょうか。それはさておき、彼らはイエスが用意したパンと魚の朝食を食べて元気を取り戻すのでありました。

今日の聖書箇所は食事が終わった後、イエス様とペテロを中心にした会話に話が移ります。それでは状況確認をしましょう。季節は春。場所はテベリヤの町ガリラヤ湖西部。復活後いつか。良くわかりません。復活後しばらくしてからです。時間帯は朝の朝食後。どんな光景が見えるか?イエス様と弟子達が炭火を囲んでいる。登場人物はイエス様と7人の使徒達。こんな事を頭に浮かべながら聖書箇所を読んでみよう。①ペテロを回復するイエス15~17②ペテロの死の予告18~23③締めくくりの言葉24~25。

①ペテロを回復するイエス15~17
思い出しましょう。ペテロは炭火を囲んでいます。そして3回イエスの問いかけに答えています。数週間前にペテロは炭火を囲んでいた時、イエスを3回も知らないと否定しています。ペテロはこの裏切りの事についてまだ真に回復していません。でもイエスは彼を真に癒してくださいます。

15:食事がすんだあと、ペテロに呼びかけるイエス。「ヨハネの子シモン」ここはしばらく間が空きますね。ペテロにしてみれば、ついに来たか。怒られるかな。でもイエスはペテロをなじったり、攻撃したりしません。ご自身への愛の確認をしています。「あなたは、この人たち以上に私を愛するか」ペテロ:はい主よ。私があなたを愛することはあなたがご存知です。以前はどうでしたか?ペテロは「たとい、全部のものがあなたの故に躓いても、私は決して躓きません」また「たとい、ご一緒に死ななければならないとしても、私はあなたを知らないとは決して申しません」と断言したのです。でも今彼は謙虚です。聖霊様によって人格が謙遜な人へと変えられました。「はい、主よ、私があなたを愛する事はあなたがご存知です」周りとは比較していません。ペテロの変化を受け止めたイエスは「子羊を飼いなさい」と勧めます。これは漁師から羊飼いに転職しなさいという意味ではありません。イエスをメシヤと信じた人をここでは子羊と言っています。霊的に幼い信者の牧者になりなさいとイエスはペテロに勧めたのです。

16:ご存知のようにペテロは3回イエスを否定しました。それ故、彼の心が癒される為に、3回イエスは声をかけています。今度は単刀直入に尋ねます。16節の言葉を読む。ペテロは同じように答えます。羊、信者一般の牧者になりなさい。
17:どうしても3回聞く必要がありました。それは意地悪する為ではありません。同じ質問に対して同じ答えです。でもさすがにペテロも3回言われたので心を痛めます。このやり取りの中で面白いのはイエスがペテロに語り掛ける、「あなたは私を愛するか」という愛は無償の愛、犠牲を伴う愛、有名なアガパオウという動詞(名詞は有名なアガペイ)です。15と16はアガパオウです。でもペテロの答える愛は友情の愛とか親子の愛とかを示すフィレオウという動詞です。3回目のイエスの問いかけはフィレオウで問いかけ、ペテロは全部フィレオウで答えています。これは日本語だと全部愛と訳されていますが、原文では違う言葉です。聖書下の注のところにも親切に書かれていますので参考にしてください。言葉の意味としては自己犠牲の愛で愛するかというイエスの問いかけに対して、ペテロとしては自分の持てる最高の愛で愛すると答えたと思います。ペテロの言わんとすることは真実です。またここは別の見方をするならばユダヤの詩、ポエム的な表現の形式として描いているのだと思います。①アガパオウ、フィレオウ②アガパウオ、フィレオウ③フィレオウ、フィレオウ。こういう並びになっています。
②ペテロの死の予告18~23
ペテロはイエスとの会話以降本当に変えられていきます。やがて迫害の中にあっても信仰を守り通し殉教の死を遂げます。伝承によるとイエスと同じ磔では主に申し訳ないと言って逆さ十字架につけられて死んだと言われています。18~19節でイエスは彼の死に方を預言しています。
20~23:主が愛された弟子とはヨハネのことです。ペテロはヨハネの事が気になります。そしてイエスに質問します。主よこの人はどうですか。22:再臨まで・・・説明する。23:ヨハネは死なないという、うわさが広がる。前後関係を理解しないとこのような誤解が広がる。ピシャリとヨハネはくぎを刺しています。
③ヨハネ福音書の締めくくりの言葉24~25。
24:ここは本人が書いたか、後に別の人が書いたかどちらにも解釈できる書き方です。いずれにしてもヨハネの福音書が真実であることを証明している。25:イエスの行なわれたことのほんの一部を書いたと言っている。
適用
○人と比較しない
以前のペテロは「たとい他の人が知らないと言っても私は決して知らないとは言いません」でも今はこのような発言は少しもありません。「はい主よ、私があなたを愛する事はあなたがご存知です」人にはそれぞれ主から受けた賜物があります。勿論すべての人に共通するキエイスト者の使命は、エレミヤ書に記されているように自分の住む町の繁栄の為に生きること。その中で賜物や使命は皆違うが、他の人と比較しないで主が示された使命に生きる事です。あなたの賜物と使命は何ですか。どんな形で本庄児玉郡市の人々の繁栄の為に生きますか。これは私達にとって一生の課題ですね。
○噂に騙されない
人の話は聞き方や言い方によって受け止め方が違ってきます。当時のヨハネに対するクリスチャンの受け止め方もイエスの発言を理解しないまま独り歩きしたものです。
結び
イエス様はそれぞれの性格をよく理解し、それにふさわしく関わって下さいます。ここではペテロが完全に癒されて、霊的回復をするために、あの炭火を囲んで、しかも、3回ご自身への愛を確認しました。彼はもう一度主の前に大いに回復し彼らしい歩みをすることになります。私達はパウロやヨハネと違うペテロの手紙に接することが出来ます。そしてペテロの生き方から多くを学ばせていただきました。もう一度私たちも大きな失敗をした時もイエスの前に出て主の取り扱いを受けて回復させていただきましょう。傲慢や出しゃばりの心が消えて謙遜な人へと変えられます。