その名はインマヌエル 

2022年12月22日

2017年12月24日
参照聖句:マタイ1:18~25②
説教題:その名はインマヌエル      

その名はインマヌエル 
おはようございます。メシヤである主イエスの誕生を心からお祝いいたします。宣教題は「その名はインマヌエル」前回の流れを復習して文脈を確認してまいりましょう。
○18:マタイは丁寧にイエス誕生についてヨセフの立場から書き記しています。ここはユダヤ式結婚の手順が分からないと誤解しやすいのでここから話を進めます。
①まず結婚は両親の合意で話が進められる
②花嫁の父親に花嫁料を払った段階で正式な準結婚関係が成立する。
③同居は1年先であるがこの期間は法律的に結婚関係と見なされる。
④この1年間に花嫁が父親に仕える。この期間は花嫁の純潔が証明される。
⑤この1年間に、もしほかの男と関係を持てば姦淫の罪を犯したことになる
⑥そうなったらこの結婚関係は破棄される。離縁となる。
⑦何もなければ結婚式が行われる。7日間の宴会が続く時があるそうです。
このことを踏まえたうえで今日の話を見ていくと「イエスの母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが」とは両親の合意で話が進められた後、マリヤの父親にヨセフの側から花嫁料が払われた段階で正式な準結婚関係が成立し、法律上は結婚と見なされていました。但しこの期間である1年間は一緒に住む事は出来ない。それはこの期間に花嫁が妊娠しているのが分かったら他の男と姦淫した言う事になり離縁になかもっとひどいことになります。このような流れです。

これを理解したうえで聖書を読むとヨセフとマリヤはこの期間であり、一緒には住んでいないという事になります。その時マリヤが聖霊によって身ごもったという事が分かりました。しかしこの時点でヨセフの側はマリヤのみに起こったことは全く分かりません。それ故困惑する事になります。
○19:マリヤを内密にさらせようとした。
ヨセフはダビデ王の子孫であります。それはメシヤが生まれる家系の人物であるという事です。当然聖書を教えられているヨセフは知っている事です。ヨセフは正しい人とありますが、旧約聖書の律法に忠実な人、厳格な人という意味で神の前に正しい人でした。別の聖書では「正しいまっすぐな人であって」と訳されています。但しこの期間は法律的には準夫婦の関係なのでマリヤが妊娠していたと発覚しれば大事になります。また仮にヨセフが法廷に訴え出ればマリヤは不貞の罪によって石打ちの刑になる可能性もあります。これがさらし者にしたくなかったという意味です。ヨセフの立場からすると絶対避けたいことなので内密に、ひそかに離縁しようと考えたのです。ヨセフの決断は非常につらく悲しいものですがここにマリヤに対する愛があります。
○20:ヨセフがマリヤの事で、これからどうすべきかを思いめぐらしているときに彼は眠ってしまい夢を見ます。そして彼の所にみ使いが夢に現れヨセフに励ましの言葉を語り掛けます。
①命令 恐れずにマリヤをあなたの妻として迎えなさい。理由 聖霊によるものです。
②命令 名前はイエスとつけよ。理由 この方こそご自分の民を罪からお救いになる。(主は救い)
今日は特に2つの名前から、そしてヨセフの従順から学びます。
○イエスと言う名前
主の使いが名前をイエスとつけなさいと語られましたがどのような意味があるか。ヤハウエは救いという意味です。主は救いという事になります。そしてイエスのもたらす救いは政治的な意味の救いではなく人を罪から救うものであります。罪とは聖書では的外れ。創造主なる神によって命が与えられ生かされているにもかかわらず、それを認めない生き方を、的を外した生き方であるとして聖書では罪と言います。それ故人は全員罪人なのです。即ち人は自分がどこから来て何処へ行くか分からリマセン。なんと不安定な生き方でしょうか。あなたはいかがでしょうか。しかしイエスはメシヤとして私たちを罪から解放して新しい恵と平安に満ちた生き方を示して下さいます。私達を解放してくれるのです。
またイエスと言う名前は当時一般的な名前ですがヘブル語読みではヨシュアです。同じ名前で有名な人物はあのヨシュア記に出てくるモーセの後継者ヨシュアですね。彼の働きはイスラエルの民を約束の地であるカナンの地まで導いた指導者であります。
イエスさまは父なる神から名前をいただき33年の生涯を生き、最後には十字架の苦しみを通して人を罪から救ってくださいます。私たちが罪から救われる道はただ一つ、イエスをメシヤ救い主と信じる事です。信じるとは具体的にイエスが私の罪の為に十字架に掛かって死なれたこと。葬られたこと、三日目に死人の内よりよみがえられた事。これを福音と言いこの言葉を信じたら救われます。このキリストの福音を信じた人は罪から救われ、罪の呪いから解放されて新しい命を受けるのです。これが21節の意味です。
○インマヌエルの意味
イエスの名はインマヌエルと呼ばれると有りますが、神は私たちと共におられるという意味であります。でもイエスの事を誰もインマヌエルとは呼んでいません。誰かイエス様の事をインマヌエル様と呼んで祈ったりしていますか。聞いた事はありません。
では何を表しているか。これはイエス様ご自身の特徴を表している言葉です。私たちと共におられるとは、イエスが人であると共に神であるということを意味しているのです。その意味においてインマヌエルなのです。イエスは人でもあるので私たちの弱さや苦しみを理解して共有してくださるお方です。そして神が私たちに近づき、私たちを救う方法として神が人となられたのです。この様に神としての性質と人間としての性質両方持たれるお方がイエス様であります。いつも私たちと共にいて下さるインマヌエルであるイエスを見上げて歩んでいこうではありませんか。
○ヨセフの従順 24
ヨセフは主の使いの言葉を主からの言葉として受け止めました。そして様々な非難、中傷を覚悟してマリヤを妻として迎え入れたのです。またイエスが生まれるまで夫婦関係を持つことなく、聖霊によって生まれた子供をイエスと名付けたのです。ここにヨセフの主に従順な信仰を見る事が出来ます。しかし彼はイエスが公生涯に入る前に亡くなってしまいます。
適用
マタイ28:20 見よ、私は世の終わりまで、いつも、あなた方と共にいます。このマタイの福音書、最後の言葉を見るとイエスはまさしくインマヌエルの神であります。この全能の神であると共に神が人となってこの世界に来て下さったイエスは私たちの弱さや足りなさをいつも受け止めてくださいます。そして裁かないのです。イエスは癒し主、慰め主、励まし主なる神であります。王の王、主の主であります。やがて裁き主としてこの世界にもう一度戻って来ます。これを一般的にはキリストの再臨と言います。いつも共にいる主イエスを見上げ今週も歩んでまいりましょう。

○結び 主に対してどういう態度をとるか
神が人となられ、私たちの罪を赦す為に命を投げ出したイエスに対してどのような態度を取りますか。また神であると共に完全な人であるイエスに対してどんな態度を取りますか。そうです。従順に従いひざまずいて礼拝を捧げる事です。ヨセフの様に主の言葉に対して従順な礼拝者として生かされていこうではありませんか。