バプテスマを受けるとは

2022年12月23日

2017年10月8日
参照聖句:マタイ28:16~20
説教題:バプテスマを受けるとは

※姓名部分はプライバシー保護の為伏字にいたしました。

今日は●●兄弟のバプテスマ(洗礼式)を行います。●●兄弟は今年4月に洗礼志願の希望が出され、9月まで礼拝後に牧師と共に少しずつ学びを続け、今日の日を迎えました。そこで折角の機会でありますので、バプテスマを受けるとはどのような意味があるのかという事を共に考えたいと思います。またこれから洗礼を受けたいと願っている方、昔受けたが意味がはっきりしていないという方も共に学んでまいりましょう。今日は3つのポイントです。

1、バプテスマは信仰生活のスタート
水のバプテスマを受ければ救いが確定したと考えて翌週から教会に来なくなる人もごくわずかですがいます。しかしそれはバプテスマの意味を理解していない証拠となってしまいます。確認したいのですが水のバプテスマさえ受ければ信仰の印だから救われると言ったらそれは正しい事でしょうか。そうです。間違いですね。救いとは恵みと信仰によってのみ与えられるものですから水のバプテスマを受ける、受けないは関係ありません。そうではなく、救いを受けたからその恵みの印として水のバプテスマを受け信仰生活をスタートするのが正解です。水のバプテスマはあくまでも信仰生活のスタートでありゴールではありません。そして本庄キリスト教会という神の家族の交わりの中で信仰の歩みをしていくスタートが今日のバプテスマ式であります。(話の流れの中で洗礼と言ったり、バプテスマと言ったりしますが同じ意味ですので誤解の無い様にお願いします)。そのような訳で今日は信仰のスタートですから、彼はこれからゆっくり成長していきますので皆様長い目をもって温かく見守って下さると感謝です。

2、バプテスマはイエスの命令 マタイ28:16~20
今日の聖書箇所はイエスが朽ちない栄光の体で復活した後に弟子達と再会し、命令を託した場面です。命令の内容はあらゆる国に出て行き人々をキリストの弟子と死なさい。信じたものに父、子、聖霊の名によってバプテスマを授けなさいという命令でした。バプテスマを単なる儀式だけで意味がないと考えてバプテスマ式を人もしないという教会も中にはあります。しかしそれは間違いです。では何故バプテスマを受ける必要があるのか、それはイエスが「父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授けよ」と命じているのです。イエス様のみこころであり、ご命令だからです。このイエスのみこころと命令故にキリストを救い主と信じた人はバプテスマを受けるのです。

3、バプテスマの意味
ではバプテスマとはどのような意味があるのでしょうか。この聴きなれないバプテスマということばどのような意味があるのか。もともと新約聖書はギリシャ語で書かれています。日本語では洗礼という言葉が一般的ですが意味合いが少し違うのでギリシャ語のバプテスマという言葉をそのまま使っています。意味は①水に浸す(つける)②沐浴する(体)③体(手など)を洗うという意味があります。これと関連して悲しみや苦しみの中で打ちひしがれるような時にもバプテスマという言葉を使います。マルコ10:38でイエスは弟子達に十字架の苦しみを前にして「私が受けるバプテスマを受ける事が出来ますか」と問いかけています。これは悲しみや苦しみに浸されている様子を表す言葉としてバプテスマという言葉が使われていますね。では代表的な意味について2つ申し上げます。
○聖霊のバプテスマ ローマ6:3
イエスが私の罪の身代わりになって死んで、葬られ、よみに下り、三日目によみがえられたと信じたら人は救われます。この時信仰者は目には見えませんがキリストに繋がり一体となります。これを神秘的に結合すると言います。この時にキリストの新しい命を受けるのです。これには年齢制限はありません。神の恵みによってなされる御業でありますのでキリストをメシヤと信じると小学一年生でも、百歳の高齢者でもキリストと結びついて新しい命を受けます。そして新しい永遠の命を受けキリストと共に新しい人生を歩み始めるのです。小学一年生でもキリストの救いは同じです。だから子供を軽んじてはならないのです。ローマ3節を見ていきましょう。
3:ここは水のバプテスマを教えている所ではありません。「キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた」と書かれています聖霊によるバプテスマの事を教えています。いつキリスト・イエスに結びつくのか。それはイエスを救い主、メシヤと信じた瞬間です。ここでのバプテスマを受けるとは水の中に入る事ではなく、見えないキリストの中に入る時です。キリストと一体になりキリストの命を受けるのです。これを聖霊によってバプテスマされると言います。そしてキリストの見えない体なる教会の一員となったというはカトリックも、聖公会も、ギリシャ正教も、プロテスタントも関係ありません。イエスをメシヤと信じた人は全員キリストの体の構成メンバーとなり、それ故キリスト教会は一つであり、信じて救いを受けた人は兄弟姉妹なのです。
ダニエル兄弟もイエス様を信じましたので聖霊のバプテスマを受け、目に見えないキリストの体なる教会の一員になったという事です。そのような感じがするかどうかではなく、これは非常に大事なことですので皆さんいつも覚えていてください。

○水のバプテスマ マタイ28:19
聖霊のバプテスマを受けたら次に受けるのが、水のバプテスマです。いつも言うように、水の中に入るから救われるのではありません。救いはいつでも神の恵みにより信仰によってです。決してここから離れてはなりません。
ではどのような意味があるのか、聖霊のバプテスマを受け、キリストの救いを受けた人が神の恵みを公に現わし、信仰によって生きる事を公にするのが水のバプテスマです。水のバプテスマを受けたから救われたのではなく、イエスをキリストと信じて救われ、聖霊によってバプテスマされたからその信仰を公に現わす水のバプテスマを受けるのです。この順番が大切です。
これによって神の家族である本庄キリスト教会の一員に加えられる事も示しています。水に入る事によって罪に対して死に水から出る時キリストと共によみがえる事を絵画的に見る事が出来ます。
しつこく言いますが水のバプテスマを受けると救われて聖霊を受けるという思い込みはやめてください。

結び
これから洗礼式を行いますが、何故洗礼を受けるのか、それは、主の御命令である事。
救いはただ恵みと信仰によってのみ与えられる。それ故信仰の歩みも恵みと信仰に生きる事。
救いを受けた人は聖霊によってバプテスマされたこと、その恵みの印が水のバプテスマであります。この事を確認しながら洗礼式を行います。そしてイエスが世の終わりまで共にいて下さる約束をも覚えて歩んでまいりましょう。