いつも共にいる主イエス

2022年12月22日

2017年4月16日
参照聖句:マタイ28:16~20 Ⅰコリント15:6
説教題:いつも共にいる主イエス 

今日はイースター、キリストの復活を記念する日です。イースターは日曜日になりますので毎年日にちが変わり、春分の日の次の満月の次の日曜日に決まっています。今年は4月16日、今日がイースターという事になります。
聖書に書いてありませんが、イースターに鶏の卵を配る習慣があります。これは卵の殻を破り新しい命、ヒヨコが生まれてくる事を表しています。今日皆さんに配りました卵はゆでてありますので雛は出てきませんが、キリストの復活を思い起こしながら早めに食べていただけると感謝です。

さて今日の聖書箇所はマタイ福音書28:16~20、Ⅰコリント15:6になります。聖書によると栄光の体で復活したキリストは10回ほど女性の信者や弟子たちにご自身を現わしています。これを通してキリストの復活は幻を見たとか、霊的によみがえったという事でないことが分かります。今日の箇所は8回目の復活の場面になります。それでは順を追ってみてまいりましょう。

1、復活の主との出会い
16:この時点で弟子たちは既に何回か復活のイエス様に出会っています。手の釘の跡も見ていますし、一緒に食事もしています。イエス様は霊ではありません。私たちと同じ肉の体でもありません。朽ちない栄光の体での復活であり、食事もしますし、壁も自由に越えて移動もできる体であります。あの疑い深いトマスもイエスに出会い「私の主、私の神」と告白し礼拝しています。その弟子たちに復活のイエスは、次はガリラヤで逢おうと約束したのです。そして弟子たちは指示された山に登りイエス様を待っていたのです。

17:その時イエス様は栄光の体をもって弟子たちに現れました。彼らはひれ伏し礼拝しました。しかしある者は疑ったというのです。この「ある者」とは11弟子の中のあるものという意味ではありません。既に彼らは復活のイエスに会った後ですので疑う事はしていません。では誰が疑ったのか。
その手掛かりがⅠコリント15:6です。この記述はガリラヤの出来事であると言われています。11弟子の宣伝によって500人以上の人々が集まりました。復活のイエスに会うためです。その時イエスは500人以上の人々に同時に現れたのです。そしてパウロがコリント人への手紙を書いた時、即ち復活から30年後も復活を見た生存者が大多数生きているのです。亡くなった人もいるとパウロは記述しています。
でも500人の中には復活のイエスと会いながらも「疑う人がいた」とマタイは正直に書いています。でもイエスの復活を疑ったというのは当然の事であります。弟子達さえも最初は疑ったのです。この記述により逆にマタイの正直な証言は真実性が増してきます。

2、イエスの大宣教命令 18~20
18:イエスの権威・・・一切の権威が与えられている。これは父なる神から受けた権威であり、天地を支配し、すべてにおいて限界のない権威である。これがイエス様の持っている権威であります。この権威によってイエスは弟子たちに命令した。これが有名なイエスの大宣教命令である。

19:この宣教命令の最大のポイントはあらゆる国の人を「弟子とせよ」という事であります。
エルサレムから始まってユダヤ、サマリヤの全土、地の果てまでという事になります。弟子たちはこの言葉を受けて全世界に散っていき福音を伝えたのです。キリストの弟子を育てる事が私たちキリスト者の最大の使命です。
キリストの弟子とはキリストに性格が似ている人の事です。人へのやさしさ、親切、人を助ける、人の弱さを理解する、裁かない、ののしらない、噂話しはしない、人を馬鹿にしない、上から目線で見ない、これが隣人愛に生きる事です。このような人に変えられていくのがキリストの弟子の最大の使命です。キリストの弟子としてこの様にありたいと願っています。
ではキリストに似るにはどうすべきでしょうか。
①行って(キリスト者は地域に出て行く必要があります。教会の交わりだけではなりません)
②父・子・聖霊の名によってバプテスマを授ける(バプテスマのヨハネのバプテスマではない、吉田孝のバプテスマではありません)。信じた人がパプテスマを受けるのはイエス様の命令なのです。これをしっかり受け止める必要があります。
③教える(常に聖書全体を教える事が重要です。神・罪・救い・キリスト信者の生き方・聖霊の事、聖霊の力・キリストの再臨・患難時代・キリストによる千年王国)これは使徒達だけの使命ではなく、また牧師だけの使命でもなく、信仰者は皆信仰的に成長し聖書全体を理解するようイエス様が命じているのです。特に信仰歴が30年、40年の人は聖書をある程度教える能力を身に着ける必要があります。耳が痛い人もいますが・・・。これを出来ないのが日本の教会の最大の弱点です。教える事を牧師に全部任せてきた付けが今回ってきています。

20:イエスの約束 私は天に帰るけれども私は世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる。これは再臨の時まで共にいてくださるという約束です。聖霊として私たちと共にいて下さる。そして私たちが天に上げられたらイエス様と顔と顔を合わせてお会いするのです。

適用
○大宣教命令(福音を携えて外に出る)
復活したキリストの命令はキリストの弟子となりキリストの心に似る人となる事です。まず私たちがより多くの点でキリストに似た者とされ、生き方を通してキリストの証をして、次に続く者を起こしていくのです。自分の力ではなく、恵みと信仰、聖霊の力によってです。自分に与えられているそれぞれの場所で証していけばよいのです。

○あなたは誰の弟子か。
私たちの真の主人は牧師ではありません。イエス様です。ですからすべての点においてイエス様に祈ってイエス様の心を確認して行動する。これが本物のキリスト者の生きかたであります。死人の内より復活し今も生きておられるイエスをいつも自分のご主人としてお仕えしていきましょう。自分はキリストの弟子であることを常に考えながら歩んでまいりましょう。

結び
キリストの復活は私の命の保証であります。何故、キリストを信じるとは目には見えませんがキリストと一つになります。接ぎ木をされるのです。故にキリストの復活の命が信者の内に宿るのです。あなたも今日、この新しい命を自分のものとしてスタートしてください。そして命を受けている人はキリストの弟子であることを明確にして歩ませていただきましょう。