キリスト者の生き方とは 

2022年12月22日

2017年3月12日
=召天者合同記念礼拝=
参照聖句:エペソ2:8~10(新共同訳)
説教題:キリスト者の生き方とは 

今年も皆様と共に召天者記念礼拝を持つことが出来ます事を感謝し、また歓迎します。毎年この礼拝を通して共に信仰の歩みをした兄弟姉妹や関係者、また葬儀をされた方々を覚え、ご家族の方々と共に礼拝するのは大いに意味のある事です。

昨日で3.11東日本大震災から6年がたちました。皆さんは6年前の3.11の時はどこにいたのでしょうか。長い時間本当に大きく揺れました。私は栃木県日光市の教会で会議があって出席していました。必死になって茶箪笥を抑えていたことを今でもはっきり思い出します。あの時からずっと災害復興協力を続け、今も石巻と南三陸町の方々と交流しています。又ささやかながら海産物や農産物の購入を通して支援の手伝いをしています。ここ埼玉でもいつ災害があるか分かりませんのでその時にも備えていければと願っています。自分達に出来る事は喜んで実行したいと考えています。

さて、この礼拝で初めの年は「新しい天と新しい地の希望」、2年目は「彼らは何を信じたか」、3年目は「キリスト信仰の本質」というテーマで話しました。4年目の今年はエペソ人への手紙から「キリスト者の生き方とは」というテーマで話します。この手紙は使徒パウロという人物が小アジヤ地方のエペソという町にあるキリスト教会の信徒たちに充てた手紙です。彼は迫害を受け牢獄の中でこの手紙を書きました。その一文が今日の聖書箇所です。この聖句にはキリスト信仰の本質部分とキリスト信者の生き方が記されています。今日はこの2つに絞って考えていきます。

1、キリスト信仰の本質 8節を読む。
 聖書は人の救を大切にします。救いには色々な種類があります。貧乏から救われる。病気という苦しみから救われる。悪くなった人間関係から救われる事、人間関係には例えば夫と妻、嫁と姑、父と娘の関係様々なものがあります。そして貧乏、苦しみ、痛み、悪くなった関係からの解放を求めて様々な宗教が生まれてきます。時には救いを与えるべく宗教が救いどころか逆に人を苦しめ不幸にする事もありますので厄介です。

それでは聖書の救いとはどのようなものでしょうか。一言で言うと私やあなたがキリストの新しい命を受ける事を、救いを受けるとか、救われたという言い方をします。この結果、肉体の死は絶望や悲しさで終わる事なく、やがて栄光の体に変えられる希望を持つ様になります。

それでは救いはどのようにして受ける事が出来るか。沢山良いことをし、酒やたばこをやめたりして頑張らないと救われないのでしょうか。そうではありません。聖書は言います。神の恵みにより、信仰によって救われる(8節)。実は恵みと信仰というのがキリスト信仰の本質なのです。

恵みとは相応しくない者に与えられる神からの一方的な良いもの。実に天地の創造主である神は、世界を創り、人を最初から人として創られましたが、いつでも、どんな時でも、人に良いものを与え続けて下さいます。これを聖書では神の恵みと言います。

もう一つ、信仰によって(8節)とは信頼するという意味です。人に恵みを与え続けて下さる創造主なる神を信頼して生きる。これが信仰です。そして何を信じるかという信仰の対象は、独り子なる神、イエス・キリストが私の罪の為に十字架上で死に、葬られ、三日目によみがえり、今も生きておられる方と信じたら救われる。これが聖書の言う救いです。ですからどんな極悪人でも、心が曲がった人でも、いい人でなくても、優秀でなくても、私でも信じたら救われるのです(8節)。それこそ救いは(8節)にあります様に一方的な神の賜物、贈り物なのであります。

※そういえばうちのお父さんは短気であまりいい人ではなかったなあ。性格は悪い人だった、人と喧嘩ばかりしていた、またお母さんはいじわるばかり言っていた。噂話が好きな人だった、人の悪口ばかり言っていたとか。何か思い出しましたか。しかしどんな人であっても人は神の目から見れば、50歩、100歩です。神は恵み深く憐れみ深いお方ですから、信じたら救ってくださるのです。それが9節の行いによるのではありませんという意味です。だれも誇ることがないためです。

2、キリスト者の生き方とは 10節の言葉
キリストを信じた人は神に造られた者ですとは、再創造された。造り変えられたという事です。目には見えませんが、キリストを信じると、キリストと接ぎ木されます。私達の心の内にキリストが住んで下さり、キリストと一つになります。それはキリスト・イエスにおいて再創造されたからです。
それ故キリスト者は知らず知らずのうちにキリストの心をもって良いわざ(10節)に生きる様に変化するのです。何故なら心の内にキリストが住まわれるのでそのように変わります。そして自分のことばかりではなく、他の人の事も考えられるようになるのです。これが良いわざをもって生きるという事です。例えば、困っている人がいれば手を差し出す、一声かける。病人を見舞う。人の荷物を持ってあげる。数えきれないくらい良いわざは沢山あります。
※そういえば家のお父さんやお母さんはそういうところがあったなあと思い出しましたか。

※今、本庄教会全体で取り組んでいる良いわざは、沢山あります。その中の一つに、各家庭で食べきれない食べ物や少し古くなった食べ物を教会にもって来ていただき、必要な人にお裾分けすることをしています。ただでもらった物を必要な人にただでお渡ししています。これをフードバンクと言います。これも私たちに出来る良いわざの一つです。他にも良いわざは沢山あります。是非自分に出来る良いわざに取り組んでみてはいかがでしょうか。きっと人生が変わります。

適用
今日はキリスト信仰の本質である、神の恵みと信仰について、またキリスト者の生き方について考えてみました。キリストを信じるとはキリストと一つになる事ですので生き方が変わります。その変化とは、具体的には
①キリストの性質を受けるので人間が柔らかくなる。顔つきが穏やかになる。
②自分のことだけではなく神と隣人の為に良いわざに生きようとします。

結び
今日召天者記念礼拝を通してもう一度主にあって信仰に生きた父、母、夫、妻、兄弟たちの生き方を振り返りながら、また自分の信仰を振り返りながら、神の恵みと信仰を確認し、神の賜物を味わい、その信仰を継承いたしましょう。お祈りします。