ナザレ人と呼ばれて 

2022年12月22日

2016年12月25日
参照聖句:マタイ2:13~26
説教題:ナザレ人と呼ばれて 

皆様と共に主イエスのご降誕をお祝い出来る事が出来ますことを感謝します。今日はクリスマスメッセージ3回目で東方の博士たちが自分の国に帰った後の話になります。神の不思議な栄光の星に導かれてイエスを訪ねて礼拝した博士たちは、ヘロデの所に戻らないよう知らせを受けて別の道から自分の国に帰って行きました。これはイエス誕生のおよそ2年後の出来事でありますがこれで話は終わりませんでした。何故か。東方の博士たちはユダヤの王を訪ね人生を懸けてはるばる旅した訳でありますのでヘロデ王の立場に立てば恐れと戸惑いは当然あります。自分のユダヤ王としての立場が脅かされると考えたわけです。

恐怖を感じたヘロデは幼子を探して殺そうとしますが彼の恐ろしい計画がみ使いを通してヨセフに知らされ、彼らは直ちにベツレヘムを離れ家族でエジプトに逃げます。これが13~18節、後半は19~23節、ヘロデ大王が数年後に亡くなります。またヨセフに主の使いが現れ今度はエジプトを出てガリラヤのナザレに住むようになります。

1、ベツレヘムからエジプトへ13~18節
13:東方の博士たちが帰って直に事態は急に緊迫してきます。主の使いがヨセフに現れて、家族でただちに逃げなさいと言います。
14:ヨセフは主の使いの言葉に忠実に従います。すぐに荷物をまとめてマリヤと幼子イエスを連れてエジプトに旅立ちました。ヨセフがとった神の言葉に従順する態度は今を生きる私たちキリスト者も大いに見習うべき点です。主のみことばに従うと100倍の祝福と恵みがあります。これと反対に自分の思いと自我に生きると大きな恵みを逃してしまいます。
16:ヘロデの悪魔的な行為が出てまいります。彼は博士たちに騙されたと思い込み、非常に怒ってベツレヘムとその近辺の二歳以下の男の子を皆殺ししてしまいます。この2歳以下とは博士たちの情報を集めた結果、割り出した年齢になります。悪名高いヘロデにとってこのような残虐行為は何とも思わないような行為でした。他にも彼の残虐行為は数知れず多くあります。

しかしヨセフの従順な信仰の態度により家族は素早く逃げましたので難を逃れる事が出来ました。
昔からユダヤの人々は何か大変な事があるとエジプトに逃れました。ヤコブの時代に飢饉があった時一族はエジプトに逃れて飢えをしのいだことがあります。またヨセフ以降のユダヤ民族はエジプトで400年間奴隷となりながらも力を蓄えやがてモーセの時代になると国を作るまで広がっていきます。イエス様の時代にもエジプトは受け皿となってくれたのです。ナイル川の恵みによる豊富な穀物や食料があり、また当時のエジプトには100万人のユダヤ人社会が出来あがっていて彼らにとって安心して住める場所であったのです。それにしても100万人とはすごい人数です。

2、エジプトからナザレへ 19~23
19~21:ヘロデが死ぬと主の使いが再びヨセフに現れてイスラエルの地に行きなさいと命じます。ここでもヨセフは主の言葉と受け止めて住み慣れたエジプトを離れてざっと見て150キロ以上の距離を歩いて戻るのです。ヘロデ王は紀元4年に亡くなっていますのでイエス様この時には既に元気な少年に育っています。
22:この時ヘロデの息子でアケラオという人物がユダヤを治めており、ヨセフたちは身の危険を感じてベツレヘムに戻りませんでした。更に主なる神から警告を受けたのでもっと北のガリラヤ地方の蔑まれた村ナザレに移るようになります。当時のナザレは蔑まれた地でありました。
ヨハネ1:45~46には有名な話があります。イエスの弟子ピリポがナタナエルに「ナザレ人イエスこそメシヤである」と語り掛けますが、ナタナエルは「ナザレから何の良いものが出るだろう」と答えています。これは彼らのウソ偽りのない思いです。この様に新約聖書の時代ナザレ人という言葉は蔑みの意味がありました。これはまたイエスの生まれる700年前イザヤの時代にも預言されていたところであります。イザヤ書52~53章に人々に蔑まれるメシヤの姿が出てきます。

私たちへの適用
○ヨセフの生き方から 14・21
ヨセフは主なる神の言葉に対して従順でした。私たちキリスト者の生き方も主の言葉に対して従順に生きると恵みを受けます。この原則は昔も今も変わりません。ヨセフの生き方から学ぼう。

○ナザレ人と呼ばれたイエス様 23
イエスは色々な人から愛されました。同時に多くの人々からナザレ人と呼ばれて誤解と偏見を受けて蔑まれました。私達キリスト者ははからずもイエスが歩まれたように生きる様にできています。人々から愛されるとともに、多くの人から蔑まれて生きるのです。苦難もあるという事です。でもそこの先にある多くの恵み、祝福、希望がある事をイエスに従う中にある事を忘れてはなりません。

結び
今日のクリスマスに当たりメシヤ誕生をお祝いするとともに、幼少時代には死の危機を受け、又ナザレ人として人々から蔑まれ、拒否されました。そして自ら進んで33歳の時に受難のメシヤとして十字架上で辱めとあざけりの中で苦しみ、人類の罪の一身に受けて死なれました。しかしイエスの御業は主なる神の御心に適う事でありましたので三日目に死人の中より復活し、天に上げられ今も生きています。このキリストを信じるものは救われます。罪の赦しと新しい命をもって生き方が変わります。今日はここに着目し、神が人の形をとってこの地上に来られたメシヤ、復活のイエス、命を与え、ご自身を信頼する者に100倍の祝福をもって答えるイエスを仰ぎ見て生きようではありませんか。お祈りします。