使徒信条⑦ 子なる神キリスト 

2022年12月22日

2016年5月1日
参照聖句:ルカ1:26~38 
説教題:使徒信条⑦ 子なる神キリスト 

今日から5月です。早いものですね。
使徒信条の第7回目の学びになります。いつも確認していますが使徒信条は使徒たちが作ったものではありませんが、使徒たちが教えていた内容、即ち聖書と内容が同じですので使徒信条と呼ばれています。
洗礼式の時に使徒信条を確認してから洗礼を受ける様にしていました。また異端の教えから守られるためにも使徒信条が告白され続けてきました。よってキリスト教会では千年以上にわたって告白してきた大切なものであります。もし皆さんが様々な事情で他の教会に移る時があるかもしれません。その時に教会を選ぶ基準は、聖書は誤りのない生ける神の言葉であると信じている教会か、また使徒信条の内容をよく理解して受け止めている教会かという事がポイントになります。

今日は、イエスキリストとはどういう方かと言う視点で学びます。主は聖霊によって宿り、処女マリヤより生まれ、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け、十字架に付けられ、死んで葬られ、よみに下り、三日目に死人のうちからよみがえりというところを学びます。

1、主は聖霊によって宿り、処女マリヤより生まれ ルカ1:26~38
ここは有名な聖書箇所で処女降誕の話が出てくる箇所です。
通常人は両親を通してこの世に生まれてきますが聖書には両親から誕生しなかった例があります。それは誰でしょうか。(    )そうです。アダムとエバです。
創世記2:6 主なる神は土(アダマ)のちりで、人(アダム)をつくった(新共同訳)。最初の人は直接創造主が命を与え造られました。
イエス様の場合はどうでしょうか。ここでは乙女マリヤに、み使いガブリエルが現れあなたはみごもって男の子を生むと言われました。その方は人となってこられる神、救い主ですと語られ、マリヤはどうしてそんな事があるのかと言って驚きます。しかし、35節でみ使いの返事を注目しましょう。聖霊なる神があなたの上に臨み、いと高き方の力がマリヤをおおいます。それ故聖なるもの神の子と呼ばれます。
実にイエス様の場合は男女関係によって生まれたのではなく聖霊の働きによって生まれたのです。
何故か。私たちを罪から救って解放してくださる方は私たちが生まれながらに持っている罪、原罪を持っていないことが条件だからです。罪のない方だけが生まれながら罪を持っている私達人間を救う事が出来るのです。それが「主は聖霊によって宿り、処女マリヤより生まれ」と言う告白です。

2、ポンテオ・ピラトのもとで苦しみを受け ヨハネ19:1
ここでいきなりポンテオ・ピラトという言葉が出てきますがこれは人の名前です。彼はローマからユダヤに派遣されて10年間総督として仕事をした歴史上の人物です。ですからここでイエス様は歴史上の人物であるという事を語り伝えているのです。
聖書を見てみましょう。ピラトによる裁判の事です。ヨハネ19:1.この前にイエスはユダヤ人による裁判を3回も受けています。宗教裁判、細かくいうとアンナス、カヤパ、サンヘドリン。この後ピラトによる裁判が行われます。政治裁判です。ピラトはイエスが無罪である事は分かっていました。ですからここで鞭打ちに留めて赦そうとしたのです。でもローマの鞭打ち刑はただの鞭ではありません。紐の先に動物の骨や鉛の塊がついています。一回たたくと肉がちぎれ、血が噴き出し、無残な姿になりますが、ピラトとしてはここで留めて釈放しようと思っていました。しかしユダヤ人の圧力に屈し、最後にはイエスを有罪として十字架に付ける事を許してしまったのです。歴史上の事実である事を使徒信条は宣言しています。

3、十字架に付けられ、死んで葬られ、よみに下り、三日目に死人のうちからよみがえり、
Ⅰコリント15:1~5。福音。これを信じたら救われるという内容です。最も大切な事として伝えたのは私も受けた事とは、余計なものは付けずただ信じたら救われるものです。では何を信じるのか、3節から4節に書かれている3つの事。キリストは私たちの罪の為に死なれた事、葬られたこと、三日目によみがええられた事です。これが福音の内容です。
そして聖書で言う救いには3つの側面があります。
①義認(神の怒りから解放される)過去形の救い
②聖化(キリストに似た者とされていく)生きている限り続きます。現在進行形の救い
③栄化(やがて栄光の体に変えられる。再臨の時又は自分の人生が終わった瞬間)未来形の救い

結び
今日はイエス様の誕生から十字架の御業までの事でありました。
処女降誕はそのまま信じる事が出来る内容です。またイエスが歴史上この世界に来られたことはポンテオ・ピラトと言う人物を通して証明されます。そして福音(良い知らせ)はそのまま信じたら救われるのです。今日も主の誕生から復活までを思えてたたえてまいりましょう。